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ブラタニ
鏝志(こてじん)blog
#4 社長たちへ(私が勤めてきた会社の社長たち) 
what is 「buratani」?
左官屋社長の放浪記

このblogでは目についたモノ、気になった事柄を左官の目線で分析をしていきます。

著者紹介
合同会社鏝志 代表 谷澤 雄司 無類の音楽好き、左官を愛し左官に愛される男。 鏝志WEBサイト
座右の銘

too fast to live,too young to die

理想の住宅イメージ

特集記事 ブラタニ

鬼のキューピーちゃん

たった三年だが、私が塗装の職人さんとして勤めていた時の社長(以降親方とする)。

フォルムは、「キューピーちゃん」の様だった。

ラジオペンチで、鼻毛を抜くのが最高に気持ち良いらしい。なので、運転席横には常にラジオペンチ。

 

ある日、マナーの悪い運転をする人に遭遇した。(今で言う 煽り運転)

「こーいう人には注意してやらないかんなあ」ボソッと親方。

モンキーレンチ片手に(ラジオペンチではない)車を降り、その車に向かっていく。私は車内にいて問答は聞こえなかったので、私が見た光景を説明する。

親方いきなり、車によじ登り叫んでいる(大型トラックだった)。モンキーレンチでドアを殴りつける。ドライバー降りてくる。で、揉み合った結果、、

ドライバー土下座する。

イマイチ臨場感に欠けるが、体験したことの無いタイプのバイオレンスだった。

勤めていくうちに段々わかってきたのだが、その愛らしいフォルムとは裏腹に、かつては相当悪かったようだ。親方のお母さんから聞いた話だが、あまりに手に負えないので寺に預けた事があったらしい。

脱走したそうだ。

親方のところで働いていると言うと、地元の飲食店では皆「ツケで良いよ」って言ってくれた。それくらい顔が効いていた。

親方は若い頃「鬼の〇〇」と呼ばれていて、地元界隈では相当だった様だ。

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baby, boy, child

すごく優しい人だった。生活面の事も、いつも気にしてくれていた。仕事でも、汚い仕事 危険な仕事 臭い仕事など、率先して自分でやっていた。

何より男気があった。

そんな刺激的な毎日を送っていたが、自分がこの技術職をずっと続けられるのか?と

不安を感じていた頃に、親方の得意先の会社から「うちで営業やってみないか?」と誘われた。親方に相談した。(私が誘いの言葉をかけられる前に、親方にも打診あった様だ。)

「ウチに沢山仕事まわしてくれよ!」って、ニコッと笑って言った。

切れ者

新たな会社に勤め始める。

そこも塗装業であったが、今度は職人さんではなく営業としてスタートした。

営業といっても新規営業では無く、既存の顧客に対しての窓口である。

もっと言うと、私の仕事は「現場管理」がメインであった。

試行錯誤のイメージ

社長は、実に頭の切れる人であった。

自分に厳しい人だったが、周囲の人たちには更に厳しかった。覚えている限り、全ての事において「良し」と一言で済んだ事は無いと思う。

毎朝のミーティングが憂鬱だった。何を言ってもダメ出しされ、少し反論すると全て「言い訳だ」と一蹴された。また、人前で恥をかかせて教育するタイプの人だった。よく続くもんだと、「親戚なのか?」「よほど良い給料もらってるのか?」と噂された。

十二指腸潰瘍で二度ほど倒れながらも、辞めようとは思わなかった。辛かったのだが、社長は「間違った事は言っていない」と感じていた。何より「辞める」が「逃げる」と、当時は思っていた。

なので「良し!」という一言をもらいたいためだけに続けていた。

十年もすると、ある程度の事を覚え仕事にも自分のカラー(意志)がでてきた。ただそのカラーは、社長の「良し」に繋がるものではなかった。

「退職」の意思を妻に話した。「十分やってきたと思うよ」って言ってくれた。

その晩、何故か私は坊主頭にし、翌朝社長に思いを告げた。ただ一言「わかった」と、少し寂しそうな笑みを浮かべた。

boy, alone, sad
step, steps, path

次の勤め先を決めずに退職したので、派遣社員的な仕事をしながら、しょっちゅうコンビニで求人誌と睨めっこ。ある日、とある求人欄に目がとまった。募集期日は本日付けだった。慌てて電話した。今夜面接してくれるとの事。約束した時間に大幅に遅れ会社に到着。真っ暗だった。

不安ながらインターホンを押す。社長が出てきてくれた。私は派遣先の作業服のままで、履歴書も書く時間が無く持って行けなかった。そんな私でも社長は面接してくれた。社長は何か私に逼迫感を覚えたらしく、訳を聞いてきた。私は塗装職人の頃から今に至るまでの話をした。過日採用の連絡あり、新たな会社での日々が始まる。

「キチッとする」

lightbulbs, bulbs, light

左官屋さんの会社である。営業兼現場管理として採用された。社長は「ひらめき型」だったと思う。

「朝令暮改」という言葉を、よく使っていた。「一隅を照らす」という言葉も、好きだった。

何より社長席の背面に「キチッとする」と、自筆で額に入れて飾ってあったのが、超インパクト。

前職の社長の感じが私の中に残っていたので、最初は「ひらめき型」に戸惑った。だが日が経つに連れて、その「ひらめき」による営業力の素晴らしさ、企画力の斬新さに惹かれた。

何より、自分の感覚を信じる姿に魅力を感じた。また、社長のまわりには不思議と人が集まった。人間力なんだろうと思った。私は最高の会社だと思った。

職人さんたちも若い子が沢山いて、皆良いヤツだった。ずっと続いて最後に俺は、ここの社長になる!って思ってた。

でもそうならなかった。

tree, fog, moor

年月を重ねるうちに、私は経営面にも触れる様になっていた。会社の内面を知っていくに連れ、このままではダメだと思い何度も社長とぶつかった。

最後社長は信念を曲げてでも踏ん張ったのだが、、、

その時は来てしまった。その後社長とは何度も会った。その度に社長は「迷惑かけてごめんな」と言った。当時、まわりの方には色々良くしてもらった。

夜遅くまで、今後について相談に乗ってくれた方。ウチに来いよって誘ってくれた方も、たくさんいた。私は当時の職人さん達と相談し、皆で独立すると決めた。

心配させたく無く、独立した事を妻に話せずにいた。(幸い家計は私が管理していて、妻には食費+αで現金で渡していたので、それが滞らなければ妻は全く分からなかった。)

何ヶ月が過ぎたであろう、どうしても妻に話さなくてはならない状況になり、とうとう、会社が倒産し今は独立して仕事をしている事を伝えた。

妻は言った「ということは、社長さんになったって事?」と。

ring, wedding, love
vintage, aviation, inventions

社長たちへ

塗装屋さんの親方には、やさしさと男気を。

次の塗装屋さんの社長には、現場の段取りの大切さと、仕上がりのセンスを。

左官屋さんの社長には、信念と生き様を。

感謝の気持ちを表すのに、どんな言葉も足りないけれど、、

まだまだ、あなた達の様にはなれないけれど、、

社長たちへ

私は、あなたたちで出来ている。

What is important

Living is precious by itself

List of past construction

【オンブルバーグ】ジョリパット(アイカ工業)

「室内に夕日を」、というご要望を頂きマンションの一室をリフォーム。南イタリアのテラコッタを思わせる独特の仕上げで施工。

素朴なガラス製のランプシェードを通じ、室内を照らす灯りは、アドリア海に沈む夕日の如く、穏やかな温かみを感じる。




著者:谷澤 雄司
合同会社 鏝志(こてじん) 代表
対応エリア:岐阜県、愛知県、三重県、但し条件合えば どこでも行きます。
対応できる工事:漆喰(内装)、珪藻土,壁の補修(内装),リフォーム工事(内装),漆喰(外壁),モルタル,壁の補修(外壁),リフォーム工事(外壁),ジョリパット(外壁),大壁工法,しらす壁,そとん壁,かき落とし,洗い出し,タイル工事,一般左官工事,塗装(ペンキ),乱形石
お薦めのデザイン:コンクリート系、フラット系
備考:バンドに夢中で大学中退後もまともに就職してなかったが、 当時のメンバーに薦められて、彼の勤めていた塗装店に職人として入社。 三年経った頃、当時の取引先社長から「ウチの会社で営業してみないか?」 と誘われ転職する。 そこの会社はマンションの大規模修繕を営む会社で、 その頃に塗装工事のノウハウを叩き込まれる。 10年勤めた頃、仕事への方向性が合わなくなり退社。 次の勤め先を決めずに退社したので、一年ほど人材派遣に頼りながら生活し、 その後左官工事店に入社。そこで左官工事を学ぶ。 8年勤めた頃に残念ながら倒産し、それを機に独立し現在に至る。

<プロフィール>
愛知県江南市出身、巳(み)年、てんびん座
【好きなもの】麻婆豆腐、ハイボール、音楽:new jeans、バイクDucati:mh900e、車:landrover:defender、脚本家:宮藤官九郎、映画:役所広司 すばらしき世界
【苦手なもの】月曜日の朝、冬場の静電気、ホヤの食感、デリカシーの無い人、食券機の店
【マイブーム】中華鍋を使った料理を作る事
052-332-8788
愛知県名古屋市中区金山1-11-10-1005